「オレがおじさんになっても、私がおばさんになっても〜♪(byもりたか?!)」
2001年1月22日 皆様は自分の老後について想像したことありますか…?私はあります。それも大学時代、理想の老後として(当時は教職目指していたんで)「教師を定年退職したあとで編曲家になって余生を過ごしたいな…自分の(当時の)師匠(吹奏楽の)のように…」なぁんて非常にPositiveに想像していたんですね。でも今だって60歳過ぎたら編曲家になりたいなぁ…って思っているんですけどね…?!
で、ここで何を書きたいのかというと、実は「老後になっても、恋愛というものができるのか?」ということについてであります。おそらく私の世代(20代後半)だと「チャーミーグリーン」のCMを思い浮かべる方が多いことでしょう。おじさんおばさんになっても、お互いに愛し合っていたい…っていう幸せな老後を思い浮かべちゃうかな…。
ところがです。実際の夫婦が互いに60過ぎて変わらぬ恋愛(ここではあえて夫婦同士を指しますが…)しているのって、そんなに多くはないでしょう。というのも世間体も「60過ぎの老人がなによ今更恋愛なんてねえ…恥ずかしい」という見解らしいし、夫婦間ももはや「とうちゃん・かあちゃん」とみなして男性・女性として性的対象に扱わない(扱えないのも含む)のもあるけど、精神的にも肉体的にも性的魅力が枯れてしまった(と思ってしまう)が故に恋愛そのものができなくなる(と錯覚してしまう)からなのではとも受け取れる。でも1番の理由は身体的なもの…すなわち性能力そのものが衰えてそれが恋愛できないという状態につながってしまうからではないのだろうか?
確かに更年期を迎えてしまい、特に女性は閉経して一応の「子供を産む性」としての女性役割は終焉を迎える。最近注目されているのだが、男性だっていわゆる「不能」状態になってしまい、肉体関係(のうちの生殖器の部分であるのが正解なのだが)ができなくなってしまう。だが、果たしてそれでもはや恋愛ができなくなってしまうのだろうか?ここに従来の「男尊女卑的恋愛+性愛関係」に縛られてしまうが故にそこからの恋愛を阻んでしまうのではないのだろうか?と考えてしまう。
男性の場合は「不能」になった時点でもはや「男性としての役割」を終わってしまうという一般論があるらしい(「男の性解放」梁石日著より)。ところが女性の場合は閉経したからといって全く性交渉ができなくなるのではない、というより生殖としての役割は終わっても、女性としての性的器官としては役割を終了しているわけではないのである。だから更年期過ぎていわゆる「老後」になってむしろ女性の方が元気がいいのも(寿命だって長いし…)その理由だからではないのだろうか?
だからといって男性は不能になった時点で「もうオレはダメ男だ」と考えてしまうらしいけど、そこに私は「ちょっと待ったぁ〜!」と意見を述べたい。確かに性的能力は衰えたのかもしれない。でもそこからむしろ「真の意味で女性を愛する」ことができるのではないのだろうか。性的器官に頼らない、肉体や力、地位や立場(=男社会)に頼らない、まさしく精神的に対等的に愛することに目覚めることはできないのだろうか?という考えだからだ。そう考えると、老後の恋愛は、実に純粋なものになるのではないのだろうか?
昔はやっていた「チャーミーグリーン」のCMみたいになれるかも…。
で、ここで何を書きたいのかというと、実は「老後になっても、恋愛というものができるのか?」ということについてであります。おそらく私の世代(20代後半)だと「チャーミーグリーン」のCMを思い浮かべる方が多いことでしょう。おじさんおばさんになっても、お互いに愛し合っていたい…っていう幸せな老後を思い浮かべちゃうかな…。
ところがです。実際の夫婦が互いに60過ぎて変わらぬ恋愛(ここではあえて夫婦同士を指しますが…)しているのって、そんなに多くはないでしょう。というのも世間体も「60過ぎの老人がなによ今更恋愛なんてねえ…恥ずかしい」という見解らしいし、夫婦間ももはや「とうちゃん・かあちゃん」とみなして男性・女性として性的対象に扱わない(扱えないのも含む)のもあるけど、精神的にも肉体的にも性的魅力が枯れてしまった(と思ってしまう)が故に恋愛そのものができなくなる(と錯覚してしまう)からなのではとも受け取れる。でも1番の理由は身体的なもの…すなわち性能力そのものが衰えてそれが恋愛できないという状態につながってしまうからではないのだろうか?
確かに更年期を迎えてしまい、特に女性は閉経して一応の「子供を産む性」としての女性役割は終焉を迎える。最近注目されているのだが、男性だっていわゆる「不能」状態になってしまい、肉体関係(のうちの生殖器の部分であるのが正解なのだが)ができなくなってしまう。だが、果たしてそれでもはや恋愛ができなくなってしまうのだろうか?ここに従来の「男尊女卑的恋愛+性愛関係」に縛られてしまうが故にそこからの恋愛を阻んでしまうのではないのだろうか?と考えてしまう。
男性の場合は「不能」になった時点でもはや「男性としての役割」を終わってしまうという一般論があるらしい(「男の性解放」梁石日著より)。ところが女性の場合は閉経したからといって全く性交渉ができなくなるのではない、というより生殖としての役割は終わっても、女性としての性的器官としては役割を終了しているわけではないのである。だから更年期過ぎていわゆる「老後」になってむしろ女性の方が元気がいいのも(寿命だって長いし…)その理由だからではないのだろうか?
だからといって男性は不能になった時点で「もうオレはダメ男だ」と考えてしまうらしいけど、そこに私は「ちょっと待ったぁ〜!」と意見を述べたい。確かに性的能力は衰えたのかもしれない。でもそこからむしろ「真の意味で女性を愛する」ことができるのではないのだろうか。性的器官に頼らない、肉体や力、地位や立場(=男社会)に頼らない、まさしく精神的に対等的に愛することに目覚めることはできないのだろうか?という考えだからだ。そう考えると、老後の恋愛は、実に純粋なものになるのではないのだろうか?
昔はやっていた「チャーミーグリーン」のCMみたいになれるかも…。
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